ワープ 08
ルーブル美術館で、あの「モナリザの微笑み」を見ました!
圧倒的な人気を物語る「ある痕跡」を発見!
私たちはモナコを立って、フランスのパリに向かいました。
パリについて、まず行ったのはエッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り。
そしてお目当ての「ルーブル美術館」。
ここでは、是非一度本物が見たいと思っていた「モナリザの微笑み」の鑑賞です。
豪壮で大きな美術館に入り、いろいろ廻っていきましたが、
世界遺産級の貴重な美術品が多く、本心では何が何だかわからない状態が
続きました。
そして、お目当ての、この絵画の前には長い行列ができていて、
見物客がじっくり時間をかけて見つめていました。
そこで、私達が直面したのは、長時間待つ事!でした。
本当に、この行列がなかなか動かないので、私達はしばらく、
その光景を遠くから眺めるだけでした。
そして、待っている間に、私は「フッ」とあることに気づきました。
(ハプニング??)
「モナリザの微笑み」の絵画の前では足元の黒っぽい絨毯が擦れて、
薄くなって色が薄い茶色(ほとんど白色)に変わっていました。
この光景を見ただけで、この絵画の前で皆さんが、小刻みに足を動かし、
いろいろ角度を変えながら真剣に見ていた事がわかりました。
「なるほど~!」と私は心で頷きました。
私達は、美術的な素養は全くありませんが、本物の「モナリザ」を
目のあたりにして、この絵画のオーラ、感動波?に圧倒されたのを覚えています。
しかし、心の中では「モナリザさんは本当に微笑んでいるのかな?」
「何か言いたそうでもあるし~?」
「見る人のその時の感情次第では?」
私の中でも、いろいろな思いがぐるぐる回転します。
多分、よく言われる様に、正解が分からないのが魅力なのでしょうね!
私達は、「未正解の意味を」を実感しました!
「ミロのビーナス」も見ました!
この他、ここでは「ミロのビーナス」も見ました。
こちらも、大人気でしたが、待ち時間は「モナリザ」には負けていました。(笑)
待っていると前後の観光客の話し声がいろいろ聞こえてきました、
何を話しているか聞いてみると、「両手はどうしたのか?」
「なぜ両手が無いのか?」 「何か持っていたに違いない」などの雑談でした。
私達は、像を見ながら、確かに「ミロの手があったとしたら、
何を持っていたのか?」などと話しながら、ちょっと想像しましたが~。
私は「鳩かな?とも思いましたが、鳩なら差し上げている感じかな?
ミロは少し遠くを見る感じなので違うな!」と勝手に考えました。
友人も暫く考えていましたが~、無言でした。
結局、2人とも答えは、当然ですが、見つかりませんでした。
この後も、2人で広い館内を歩きまわり、沢山の貴重な絵画、
芸術品を堪能しました。
しかし、悲しい事に、短時間で多くの歴史的な美術品に出会いすぎて
詳しい事は忘れました。
本当に残念です。
最後に分かったのは、「ルーブル美術館は謎の宝庫」と言う事です。汗
「巨大すぎるドゴール空港で迷子状態?」
数日間私たちは、パリ市内を観光し、
最終日、市内からバスでフランス・シャルルドゴール空港向かいました。
しかし、空港に着いたものの、搭乗ゲートが分からくてかなり困惑しました。
この空港も世界的なハブ空港なのでかなり大きくて搭乗カウンターが多く
私たちには知らない、聞いた事のない目的地のゲートがありました。
確かに、ヨーロッパや中近東、アフリカの各地の首都や経由地など
ほとんど興味も情報もない時代でした。
(主な都市は分かりますが、小さな国の事はギブアップ状態でした。)
本当に、分かりにくい空港でした!(私たちには)
ここでのちょっとした、ハプニングは?
世界的な空港なので当然ですが、利用客が多いヨーロッパ、中近東、
アフリカ、北米が中心で、アジアはかなり端っこ!
行先の表示は2つセットでTOKYO(JAPAN)と SEOUL(KOREA)
でした。
私は、以前アメリカの旅した時、国際線の目的地の表示は
TOKYO,OSAKA(JAPAN)の表示だったので、
同じだろうと思っていただけに、韓国とセットとは少し驚きました。
しかし、確かに、冷静に考えるとヨーロッパから見れば、JAPANも
KOREAも同じような都市(アジアの一地域)なのだ~と感じました。
本当に、ヨーロッパから見れば 地球のほぼ反対側、極東地域の隣町の
感覚なのだと思い知りました。
日本人からみれば「全く違う国なんだけど!」とも思いましたが
世界からみれば日本、韓国はすぐ近くの隣国、隣町の感覚しかないのを
体感しました。
私達は、そんな事を感じながら受付・通関を問題なく
(なんのハプニングもなく)終了し、無事に搭乗出来ました。
しばらくして、機体はボーディングブリッジを離れ、離陸しました。
水平飛行に移ると、搭乗客が少なかったので2人は指定席を離れ、
それぞれに後部の窓際の席に陣取り、シートを深く倒しました。
長期間の緊張状態から解き放され安堵感に包まれた一瞬でした。
窓から見えるパリの遠景を見ながら、さよなら、ヨーロッパ、
さよなら、卒業旅行でした。
帰途の機中で思い出した曲はS&G
パリからの長い帰りの機中で「フッ」と口ずさんだ曲があります。
友人は疲れ果てて?すぐに爆睡状態でした。
しかし、私は窓からヨーロッパの街並み山並みを見ながら
ちょっと感傷的になっていました。
日本と違って列車、車、飛行機で国境を超えると全く違った、
光景、言葉、民族がいて、そこにさらに様々な国から観光客や
ビジネス客が往来し、移民や難民が暮らしている現実に驚きと
憧れの気持ちを抱きました。
当然、日本で想像していた快適な生活だけではなく、
毎日必死で生きている人も目撃しました。
そんな事も考えていたら「ふっ」と
私が中学生の頃流行った、サイモンとガーファンクルの
「明日に架ける橋」(Bridge Over Troubled Water) を思い出しました。
歌詞の意味は「深い悩みの中にいる時、そのトラブルの川の上に架かる橋の
様に私が体を投げ出して、支えてあげるよ~!」
という内容です。
世界的に大ヒットした曲なので、中高年の方は多分、知っていると思いますが、
なぜかこの曲を思い出しました。
この曲の真意が少し分かった気持ちにもなりました。
私は、勝手に「将来誰かの支えになれたら良いだろうな~!」と
密かに考えていました。
また、少し余談ですが、機内食です。
離陸後、水平飛行に入ってしばらくして、夕食のサービスがありました。
夕食は、プラスチックのプレートの上にメインディッシュとして
ハンバーグの様な肉料理があり、あとはサラダ、スープ、パンでした。
私達はエコノミークラスなので、贅沢は言えませんし、想定していた
シンプルな内容なので、機内食でのハプニングはありませんでした。
ハプニングと言えば「ちょっと食事の量が少なかった」感じです。
(格安航空券なので文句は言いません!)
この後、快適なフライトが続き、無事に日本に到着しました。
この卒業旅行は、約40年経っても私の胸にもしっかり残っていて
一場面一場面がはっきりと脳裏に浮かびますし、私にも友人にも多くの
貴重な経験を与えてくれました。
約20日間ほどでしたけれども無事に帰ってこられて、私は安堵と共に
この経験をどう活かすかということも真剣に考えました。
また同時に、私はお金を使い果たしたので、帰国後、すぐに
「イギリス・ヒースロー空港での手荷物紛失証明」で保険会社に
請求をかけました。
暫くすると、保険金が請求通り支払われました。
初めてのヨーロッパ旅行でしたが、国内では絶対経験できない、
いろいろなハプニングが私の人生観を豊かにしてくれたのは実感しています。
行き当たりばったりの珍道中でしたが、行って本当に「良かった!」と
思います。
コトワザ「百聞は一見に如かず」を体験
やはり「百聞は一見に如かず」は真実でした。
そして、最初のアメリカ1人旅で出会った金言
「君はヨーロッパに行くべきだ」との言葉がよみがえりました。
確かにアメリカにはない深い歴史的思慮、人種・文化交流、がありました。
これは、実際に行って見て、経験しないと分からない事だと思います。
人の話や資料だけに頼らず、昔からよく言われる様に自分の目で見て
自分なり理解して判断を下す!
身に染みて分かりました。
このため、私は経験にもとづき「観察力」「洞察力」「判断力」を
世界の若い人が理解し、鍛える事をおススメします。
以上
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