初めてのUSA・サンフランシスコ運命を変えたひと言(I.G.)

世界のハプニング 北米

ワープ 02

 初めてのUSA・サンフランシスコ 運命を変えたひと言(I.G.)とは? 

大学生の時の話です。私の最初の海外旅行先はアメリカでした。

福岡空港から羽田経由でアメリカへ、約2週間の一人旅です。

私は、初めてなのでトラブルを心配して、空港には出発の3時間前に

到着し準備をしました。

待ち時間の間も私は、何度も何度もパスポート、両替したアメリカドル、

航空チケットを確認しては、ドキドキした時間を過ごしました。

そして、国際線ロビーに入り、出国手続きをして、搭乗機を目の前でみました。

言い知れない不安も湧いてきて、「はやり止めようかな?」とも思いました。

刻々と出発の時間が近づくにつれ、私はかなり複雑な心境でした。

しかし、こころの中で「賽は投げられた。行くしかない」と独り言を呟き、

決心して飛行機に乗り込みました。

そして、空の玄関「羽田国際空港」経由でアメリカに出発、日本を離れました。

この時は、まだ成田国際空港が開港していませんでした。

約14時間のフライトでしたが、到着の1時間程前に入国審査の

アンケートがあり、到着後の旅行計画、滞在先、宿泊ホテル等を

詳しく記入が求められました。

全て英語の記入なので私は、かなり苦労しましたが、

その飛行機には幸い日本人のCAさんがいたので日本語のサポートを受けて

無事記入を終了しました。

こうした手続きの後、最初に降り立ったのがアメリカ西海外

カリフォルニア州サンフランシスコでした。

空港に着陸すると、本当に青空で「ついにアメリカに来たぞ~!」

と言う感じの高揚感で一杯になりました。

いわゆる「カリフォルニアの青い空」の下で、私は一度大きく深呼吸をしました。

入国審査を終えて、私は、空港リムジンバスで市内に入り、

ホテルにチェックインしました。

この「サンフランシスコ」はよく言われる様に、アメリカでは珍しく

コンパクトな街並みで、車がなくても、公共交通機関を使い一人で

ブラブラしても比較的安全で市民もフレンドリーでした。

「市内観光には公共交通機関の格安チケットがおススメ!」

市内にはケーブルカーが走っていて、慣れている若い人は 小走りに走って

ちょこんと飛び乗る感じが新鮮でした。

日本では見た事ない光景の一つでした。

市内は坂が多く、歩くのが大変だったので、

私も乗ってみましたが、コンパクトな車体で、いろいろ人種な人が

仲良く乗っていて、多民族国家を象徴しているようでした。

当時、運賃は確か約2ドル?/回と思います。

現在(2022年7月)は8ドル/回(約1000円)とかなり高額です。

ただ、当時の事は詳しく分かりませんが、現在はビジターズパスポートがあり

1日、3日、7日間用のかなりお得な乗車券が利用可能です。

例えば 今なら紙ベースだと「24ドル/日」、

さらにネット利用なら「13ドル/日」です。

料金の変動があるので、興味のある方は、是非「サンフランシスコ市営交通局」

で確認してください。

円安が進んでいるので 以前に比べちょっと高い感じですが

それでも数日の滞在ならかなりお得です。

私の場合は知らずに何度も乗ったり降りたりしたので、かなり損した気分です。

到着した日の翌日、私は、市内を少しブラブラした後、

観光地の一つとして有名なフィッシャーマンズワーフに行ってみました。

ここでは、地元の海産物が沢山売られていて、それぞれが色鮮やかで、

外国映画の一シーンの様でした。

私は、レストランで海鮮丼?を食べてみましたが、美味しかったです。

日本では東京の「築地市場」の食堂の様な感じでしょうか?

こんな感じで、私は、3~4日ここに滞在して市内各地を散策しました。

その中では、カリフォルニア大学バークレー校にも行ってみました。

学生が芝生で寝そべっていたり、ベンチで男女が談笑したりしていて、

アメリカの観光ポスターでよく見る「自由で生き生きとしていたイメージ」

そのままでした。(笑)

 

そして、4日目だったと思います。
市内は一応散策したので、町が一望できる公園、「テレグラフヒル」に上って

「シスコ」の街並みと太平洋を眺めてアメリカ旅を満喫しよう出かけました。

一人で、住宅街を抜けて、トコトコ歩いて行きましたが、

途中で思わぬものに出会いました。

それは道路に書かれた、何かの事件現場の状況を示す太い白線でした。

日本では、見たことが無かったし、映画の世界だと思っていましたが、

いきなりアメリカの現実の世界に引き込まれました。

私は思わず、周りを見渡し誰もいない事を確認しましたが、

一瞬身体に緊張感が走ったのを覚えています。

私は、気を取り直してゆっくり周りを確かめながら、

坂を上がって頂上にたどり着きました。

「私の運命を変えた出会い・ひと言(I.G.)とは?」

 

頂上は大きな広場になっていました。

私は、壮大なパノラマ光景を楽しんでいるとやはり一人旅のアメリカの若者に

出会いました。

眼鏡をかけ、髭を生やしていましたが、物静かで理性的な感じでした。

私はなんとなく好奇心で「私は日本人で、観光で初めてアメリカに来ました」と

片言の英語で、彼に話かけました。

そうすると、彼も「僕も観光旅行で来ているよ」と言い、自己紹介を始めてくれました。

彼は、フロリダ大学で学ぶ28歳の医学生でした。

そこで、なんとなく3時間くらいおしゃべりをしました。

私は日本から見た、アメリカの魅力をいろいろと話しました。

内容は日本から見たアメリカの経済のダイナミズム、エンタメの華やかさ、

各観光地の魅力などです!

特に、私は車が好きだったので、フォードの「マスタング」のカッコよさ等を

熱く話しました。

彼は、静かに私の話を聞いてくれましたが、最後に少し間をとって

「君の気持は分かるけど、君はここ、アメリカに来るより先に

ヨーロッパに行くべきだ」と返しました。

私が理由をたずねると、彼は「ヨーロッパには長い歴史がある。

アメリカの歴史は浅く短く、繁栄は言わばイミテーション・ゲーム。

ヨーロッパには本物の歴史と文化がある! まずそれを学ぶべきだと思う」

と静かに締めくくりました。

私は「イミテーション・ゲーム?(偽りの遊戯)」と繰り返しました。

すると彼は「アメリカは人種差別、貧富の格差、移民、難民等社会問題を

沢山抱えているよ。

今、貴方が見ているUSAは、表面的な偽りのゲーム、世界なのでは?」

「こうした問題を解決するのに参考になるのがヨーロッパであり、

その長い歴史にあると思いますよ。

だから、まずヨーロッパの歴史に学ぶべき」との考えでした。

私は、最初彼が「何を言っているのか」わかりませんでした!

私は、そんな「ヘビーなアメリカの実社会」を知らなかったので!

そして、「ヨーロッパの次に行くのは中近東だよ!」と彼は追加しました。

私は、憧れのアメリカで最初に長い言葉を交わした若者のアドバイスに驚きました。

いや、驚きより、衝撃に近い感じでした。

理由は、「アメリカファースト」の当時の私の考えを完全否定された感じでした。

私の中では、当時「アメリカが世界の中心で富と栄光の象徴」でした。

その国では、若者は当然、自国の繁栄を自慢するものと思っていたのです。

こうした考えは、戦後の「アメリカ流民主主義教育」の影響でしょうけど。

しかし、彼は当時の繁栄を「イミテーション・ゲーム」と言い捨て、

「まず、ヨーロッパの歴史を学べ!」と言うとは想定外でした。

私は、勝手に日本で紹介されていないアメリカの何か別の魅力を教えて

もらえると期待していただけにかなりがっかりでした。

しかし、「よーく、じっくり考える」と、逆にこうした本音は日本で

あまり紹介されていないので、リアルなアメリカを知るうえで本当に勉強になりました。

確かに、歴史的に言えば、アメリカの独立宣言は1776年、

渡米時は、1970年代なのでわずか200年ほどの歴史でした。

彼の言葉は、アメリカ知識階級の思考を端的に教えてくれたと思います。

そして、この一言は、私のその後の海外挑戦を決定づけた

「運命を変えた金言」だと思っています。

こうした、初対面の2人の会話が終わったのは、夕日がテレグラフヒルや

ゴールデンゲートブリッジを赤く染める頃でした。

私は、その彼の言葉がいつまでも心にのこり、

2年後ヨーロッパを旅する事になりました。

それは、また「ヨーロッパ卒業旅行」として後日、投稿予定です。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました