アメリカ1人旅の 話に戻ります。
私は、この後、ロスアンゼルスに行きました。
世界的観光地「ディズニーランド」に行き、1日歩き回りました。
翌日は、映画の聖地ハリウッド、高級住宅街ビバリーヒルズなども回りました。
確かに、それぞれ魅力的な場所だとは思いましたが~。
なにかしっくりこない感情も残りました。
このため、翌日、私は観光地巡りを止めて、市内の公園に行きました。
理由は、簡単!有名な観光地ではなく、
私流のリアルなアメリカ社会を知りたかったのです。
例えば、日本では、よく広場でおばちゃんが集まって「井戸端会議」に
花を咲かせる光景がありますが、アメリカはどうなっている?
私は、「アメリカ人」庶民の生活の実態が知りたかったのです。
「日本と何がどう違うのか?」
私は、ホテルの近くのロスアンゼルスの中心部の大きな公園に朝から訪れ、
ベンチに座って「ず~と」人々を観察してみました。
平日の午前中でしたが、子供連れの母親や商談するビジネスマン
お年寄りのグループなどが大勢いました。
「嬉しかった!ロスの井戸端会議!アメリカと日本は同じ日常生活」(笑)
私が気になったのは、ちょっと小太りのおばちゃんのグループでした。
黒人のグループでしたが、その人たちは何かを大きな声で話し合っていました。
時々、大きな笑い声も響きました。
私は、できるだけ内容を知ろうと聞き耳をたてていましたが、
大声で、早口で、方言?でしゃべるので、私には、ほとんど理解できませんでした。
「残念で、悔しいです!」(自分の英語力のなさに!)
でも、片言ですが、昨日の食事が不味かったとか、子供が言う事を
聞かない、しつけが大変!等の日常の事を愚痴っている感じでした。
詳しくはわかりませんが~。汗
そして、その周りを小さな子供たち(3歳~5歳位)が「キャッキャッ」
と笑いながら走り回って遊んでいました。
こうした光景に出会い、私は、こころの底から安心し、安堵感に包まれました。
同時に、非常に嬉しくなりました。
国を超えた公園で、なんでもない普通の人々の日常が、目の前にあり、
その場所を共有していることに親しみ、楽しさを感じました。
へんな表現ですが、この瞬間「私は世界中、どこでも生きていける!」
と言う妙な自信が生まれました。
そして、これが、本当に知りたかった事、
「私がアメリカ一人旅に求めていた答え」でした。
初めてばかりの不安の渦巻く中、「1人でアメリカに来て良かった」と思いました。
暫く、この光景をゆっくり楽しみました。
この後、お昼に、公園内のキッチンカー?で名物の「タコス」を食べました。
本来、タコスはメキシコ料理ですが、当時はロスでもすっかり
馴染んでロスの名物料理?として皆さんが楽しんで食べていました。
私は、初めて食べたので、「美味しいか、美味しくないか?」
分かりませんが、300円ほどで空腹が満たされました。
観光地では味わえない異国の公園の日常に満たされた一時でした。
今でも、忘れられない光景です。
「USAの施設は想定外に巨大!待ち合わせ場所にも要注意!」
(詳細な確認を!)
この後、テキサス州に「知人の知人」を訪ねました。
冒頭でも少し紹介しましたが、当時、テキサス州の情報も十分ではなく、
道中は本当に不安でした。
そうした思いの中、私は、空港に着き、待ち合わせ場所に
バスとタクシーで向かいました。
そして、最後のタクシー中で、運転手に待ち合わせ場所を伝えました。
運転手も「了解」と答えました。
指定の場所は、地元の有名な大学病院「メディカルセンター」なので、
私もさすがに間違えるハズがないと確信し、やっと安心しました。
しかし、私の考えは甘かったのです。
理由は、私が、現地に着いて驚いたことは!
日本では見たことないほど、想定以上の大きな病院だった事です。
指定場所が「メディカルセンター」だけだったので、
到着後、その病院のどこへ行けば良いのかが分からなかったのです。
下手をすると、敷地内の隣接する病棟に行くにも車が必要な広さと距離です。
急いで、メモを見ましたが、予定では面会予定「メディカルセンター」
14時との表示だけ。
今なら、SMSで「今着いたよ!」とメールすれば「OK!」と
返信があると思いますけど~。汗
私は、必死になって連絡方法を考えましたが、手掛かりが見当たりません。
私は、不安で悲しくて泣きたい気持ちでした。
暫く考えていると、ふっと最初、紹介された時に担当は「小児科」と
聞いていたのを思い出し、とりあえず、その病棟に向かいました。
繰り返しになりますが、アメリカの総合病院は、
基本的に施設も駐車場も広いので、日本では想定できない広大な敷地に
各病棟が点在しています。
このため、夏場で暑いうえ各病棟も遠く、私は大汗をかきながら
歩いて移動したのを覚えています。
小児科病棟にやっとたどり着いて、恐る恐る私は受付で
「職員の○○さんをお願いいたします。」と言うと~。
最初は、受付の人は、私は小児科の患者ではないので不審そうでしたが、
「ちょっと待っていて」と言い電話で確認してくれました。
その後、「今彼女は、仕事中で対応できないので、少し待っていてください」
との返事がありました。
私はすぐ会えない事に少し、不満でしたが、「知人はここに居た。
良かった。 間違ってなかった。そうだまだ、相手は仕事中なのだ」と
現状を理解して、大きな待合室の長いベンチに座って待ちました。
実は、この時も「本当に本人なのか?いつまで待つのか?」不安でした。
しかし、20分ほどして、女性が受付に「ありがとう」
言いながら私の所に来てくれました。
若く明るい女性なので、私は嬉しくて安心しました。
私は、心の中で(良かった、やっと会えたよ~)と思いながら!
彼女は笑顔で、簡単な自己紹介の後、「長いフライトお疲れ様、体は大丈夫?」
と挨拶してくれました。
私も笑顔で何も無かった様に「お会いできて嬉しいです」と応えました。
しかし、私の心の中では、「到着までの過程で経験した、私の冷や汗連続の苦労は、
彼女は理解できないだろうな!」とも思いました。
「海外のホームパーティーはヒット曲で話題作り」
この後、彼女のシェアハウスを訪問しました。
そこで、友人の男性2人を紹介してくれました。
2人のうち1人は学生で1人は、会社員でしたが、
2人とも少しシャイですが、とてもフレンドリーな感じの男性でした。
夕食は彼女の手作りピザを皆で食べながら、それぞれの生活や趣味などを
語り合いアットホームで有意義な時間を過ごしました。
アメリカ人は個性的ですが、純粋で誠実な人が多い気がします。
その夜は、何時間もの間、3人は私の片言の英語にも関わらず、
嫌な顔一つせずに、私の言葉を理解しようと、熱心に応対してくれました。
こうした中で、盛り上がったのは、「サイモンとガーファンクル」や
「カーペンターズ」のヒット曲だったと思います。
その時、外国人との共通の話題作りや盛り上げは「世界的なヒット曲や歌手だ」
と感じました。
「歌は国境を超えると言われます」が、その事を実感しました。
今なら、「クイーン」の「ボヘミアンラプソディー」でしょうか? (笑)
深夜まで話をして、その夜は、ゲストルームでゆっくり休ませてもらいました。
また、この時、私は彼女にお土産として「真珠のネックレス」を渡しました。
彼女は、初めて真珠のネックレスを見た様で、目を輝かせて喜んでくれました。
私には、ちょっと高いプレゼントでしたが、彼女の笑顔を見て、
その価値はあったと思います。
異国の地で初対面の若い人と夢の様なアットホームなひと時を過ごして、
無事にテキサスを離れました。
初体験の感動の時間でした。
この後、サンフランシスコを経由して問題なく帰国しました。
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